室町時代の後期、
村田珠光によって確立確立した「侘茶」の系譜は、
その弟子である堺の豪商、武野紹鴎から津田宗及、今井宗久らを経て、
千利休により芸術の域まで高められ、
今日に続く「茶道」が完成したといわれています。
茶道における水仙は、
戦国時代から「茶花」として用いられ、
茶会の時期に見合った季節の花の代表格として重宝されていたようです。
16〜17世紀にかけて催された
多くの茶会の記録(茶会記)が森富夫氏によって研究されていますが、
それによると椿237回、梅152回、水仙84回、菊81回など、
当時79種程の茶花の中でも三番目に多く使われ、
また18世紀初頭の近衛予楽院の「槐記」や茶会記でも
椿、菊、梅に次ぐ四番目になっていて、
冬に催される茶会の代表的な花であったことがわかります。
特に安土桃山から江戸時代初頭にかけて活躍した
小堀遠州(1579〜1647)は水仙をたいへん好んだらしく、
寛永四年(1627)に「丸獅子耳付花器」で初めて水仙を使って以来、
正保二年(1645)の茶会まで六十五回にわたってつかっている記録が残っています。
季節の風情を貴ぶ茶道において、
雪の白さにも似た冬の花、水仙の透明感が
茶人の心を魅了するのでしょううか。 |