生け花は、立花の形式が出現した室町時代に、飛躍的に盛んになりましたが、
当時の記録に、既に水仙の名を見ることができます。
水仙は、冬に咲く数少ない花の代表として、
<陰花(冬の花)なりといえども冬の花の司にして盛久しく目度花也>(正風切紙伝授巻)、
<陰の花水仙に限る。賞賛すべき花なり>(7種伝)と賞賛され、
立花の発展とともに、松、杜若、蓮、菊と並ぶ(五一色)の一つにまで、数えられるようになっていきます。
江戸時代に入り、華道が爛熟期を迎えるころには
<一に水仙、二に万年青(おもと)>と言われ、
池坊専養が校閲したとされる延宝五年(1677)の(立花聞書集)には、
松、竹、梅、柳などとともに「祝儀に用ふべき花」に水仙が挙げられており、
めでたい花として親しまれた様子が伺えます。
華道の歴史のなかで、
年代が古く、水仙を扱った確かな立花図は
池坊専好のもので、「水仙一色」とはいいながら
胴に箸莪(しゃが)や莞草(かんそう)を前置きにした金銭花となっています。
これらの立花図を要約解説したものに
天和三年(1683)の「立花大全」があり、
また、貞享五年(1688)の「立花秘伝抄」の水仙花の項には
「水仙は五一色の其一ツなり。一色のみにかぎらず、
常に立花にも、一に水仙、二におもとと云伝へ最上の秘事なり」と賞賛されています。
生け花では花、茎、葉、はかまをいったん解きほぐし、
花茎や葉を理想的な姿に組みなおしていけるのが定法になっていますが、
立花では
水仙の葉の二枚を下段から横に使う水仙投葉の手法や、
流派によって異なった手法を用いることもあります。
また、盛花、投入花や、現代様式の花では
特に葉組みをしないで扱ったり、
松や梅の根締めなどにもよく用いられています。 |